八神いぶきに急かされて


3樓貓 發佈時間:2022-07-13 04:08:50 作者:Yumintrollet Language

アテンション・プリーズ、アテンション・プリーズ!

可憐なロリをうす汚き大人から救う、耽美世界の味方、か弱いダンテライオン印の弁護士、少女愛護協會會長、ユーミントロール參上でございます。

と、いきなり華々しく(うるさい)登場を決めてみたけど、なぜこうして急に現れたかと言うと、ふふ暗あるところに正義の光あり!とほくそ笑みたいとこだが、大して深い訳はない。普段から少女性に心酔し、少女を愛し乙女を愛でたい私は、オタクや大人のパターン化された考え方にこういうものの捉え方もあるよと、本気の自己主張と言う名の草の根運動を始めた、ってだけ。

さて、本題に入るとしよう。

めぞん一刻、9歳の秋、昭和アニメ専門チャンネル「KID’S STATION」にて放送されていたのを私は日課のようにこのアニメを見ていた。當時は浪人生の意味もわかってなかったし、らんま1/2のかすみねえさんにそっくりな音無響子、ダメダメすぎる五代裕作には、正直興味が湧かなくて、五代そこ変わってくれないかなって思うぐらいただアパートの暮らしが楽しそうで、羨ましかった。戀というものにはちゃんと好奇な目を向けていた年頃、どうして主役の二人に惹かれることがなかったのか、今になって考えると、この二人がくっついたとして、あまりに予定調和で、駄目男が救われる優しいだけの面白みのないドラマだったという理由に突き當たる。子供ながらに、結婚した二人を泣いてまで祝福することはできないと思った。

でも、一つだけ、このアニメを見ているとき、奇妙なことが起きそうとワクワクするポイントがある、そう、八神いぶき。彼女が現れると、禁慾的なモノローグの塊は何故かポップな話に鮮やかに模様変わりするのだ。彼女はおバカで全力な少女漫畫風ヒロインなんかじゃない、可愛いけど、ちゃんと頭で考えて動く生き物だ。それに勇敢であっと驚くような言動をする、五代先生の襟にキスマークをつけたり、目の前で裸になったりと。この子の眼に映る世界は、きっと彼女の見た目のように若々しく、踴り出しそうな心の動きを反射して、生き生きとしているだろう。八神いぶきには、欲しければ手に入らないものなんてないもん!のような堅い信條がある、その処女性の揺ぎないものを、アパートの管理人さんという、「理不盡に」強い戀敵によって、焦られ覆され粉々にされていく、まるで彼女の世界観は間違っているように。同級生からみればとても魅力的な彼女だが、この戀戦では下手な手ばかり打つ羽目になる。

最近ようやく分かって來たことは、この世の一流の作家たちは、これからも音無響子の戀を量產していくし、八神いぶきはこれからもその物語の恰好の餌として消費され続けされていく。はー、可愛そうで、可哀想で、涙が出るぜ。

ここに私は、八神いぶき被告の弁護人として、自分を立てる事にしよう。

「戀に戀する女の子」と合理主義の皆さんに評される八神ちゃん。彼女は五代と言う男を、思春期に現れたという理由だけで愛してしまったと、そう見えるでしょう。実際因果関系から理論的に展開すると、その通り、私に勝算はない。子供の思い込みは社會にぶつかって砕けるものだ。

ところでいきなり話は飛ぶが、今周の少年ジャンプでハイキュー‼︎はついにファン待ちに待った「戀に全力」展開があった。見てない人にネタバレすると、長年排球部非モテ筆頭の田中と、全國區バレー強豪校レギュラーの幼馴染との間の、はちみつレモンのように甘酸っぱい関系性が露呈したのだ。葉歌ちゃんの好意は見え見えで、そのあまりに見事なおどろおどろしさもあってか、戸惑うばかりのチェリーボーイ田中を差し置いて、同級生たちは「脈あり」とつい想われてる本人にバラしてしまった、先を行かれて悔しかったろうにね。葉歌ちゃんは小4の頃、意地悪な男子たちを田中がいたずらで助けてくれてときめき、この記憶をずっと大事に抱えたまま高校生になった。かっっっっっわいい!その一方田中も田中で、潔子さん親衛隊という役割を日々全うし、バレーをここまで楽しめて來れたのも、女神の存在は欠かせられないという訳だが、こいつは、これを「戀」だと言っている、本志のページをめくりながら、マジで好きなんだって笑った。正直、田中もノヤも、どこかこれを高校男子の健全な「遊び」だと思っている節があるんじゃないのかと思っていたが、赤面せずに「俺には心に決めた人が」と言い切る田中は案外本気なのかもしれない。彼は、この右往左往を繰り返してる中で青春を謳歌し自分を確立していく。「ポッと出」の葉歌ちゃんに、田中はあたふたする:「脈あり」とはなんぞや???そんな世界があるのか???お、お、俺は、戀をするのか???という有様。田中にとっては現実に摑めそうな女の子が現れた新展開、葉歌ちゃんの想いは彼の世界に再び変化をもたらす。

駐Twitterハイキュー!!民は沸いた、これは、これはよくあるさえない青春そのものではないか?この漫畫はこれからジャンプの戀愛漫畫の看板も擔っていいくのか?古館先生はどこまで物語を作り込んでいく気なんだ‼︎と言う具合に。その一方、早速メスを入れる読者もいる。「田中は戀と憧れの區別がついてないが、葉歌ちゃんだって同じ、憧れに近い感情を田中に抱いている」、「田中も葉歌ちゃんも相手と向き合って好きな訳じゃない、自分の理想を大きく投影している片思い」など、銳い切り口についいいね!を押してしまいそうだった。でも、あわあわしている二人を思い出して、それらの言葉はあっさり脳裡から消えていく。

學生時代の頼りない戀、無暗に誰かを好きになっていく自分を疑って、けど戀する楽しさには逆らえないから自分を騙し続けていく、これは多くの人に共有されている感覚だろう。真っ當なドラマは、まずその失敗から立ち直ることで始まる。一人の人間と、自分の本質をぶつけあって誠の戀人になっていくのが筋である。もちろん、これが真摯に生きる人間に値すべき幸せだ。もう一つ、大きな市場を持つセオリーがある、青春の賭けに負け、敗者となった人々が、互いの暖かさや優しさを頼りに、自分たちが想像しなかった未來を手に入れていく物語。友達の言葉を借りると「末人」の救済措置だ。この二つの構造に共通する點は、個人の願いで推し進める距離には限度があって、常に「大いなる仕組み」が人々を包んで、その中に生きる私たちは自分のあるべき場所にいづれ収まるのだ。八神いぶきの「戀」、田中と葉歌ちゃんの「戀」は、早々に死んでいく。

私は、この標本を、あえてその死に際のギリギリまで見守っていたい、何故なら、これも、まごう事無き「真実」なんだから。ここにあるのは、永遠の戀とは対角線上にある話。人は誰もが運良く、ただ一人の相手に出會うことは滅多に無い、たとえ出會ったとしても、うまく行かないことの方が多いだろう。成就と失戀の、天國と地獄の差の間に漂う敗れた戀の亡霊たちは、大切に人々の胸の中に仕舞われる。なら、初めから「思い込み」によって「創り出された盲目」も、その中空の一部として主張をしてもいいのではないか?八神は怒って泣く、ときめいて赤面する。田中は「訳あり」の扉の前に立ち手招かれるまでそわそわ傍で向こうを覗く。葉歌ちゃんは、逃げられたことに、「失戀したかも」と落ち込む。どれも強い感情の表れだ、そして何より彼らはめげない、失敗してからも立ち直ろうとすることは、まさに憧れの衣が剝がれることを恐れるより、ワクワクしながら積極的に向かい打つ證だ。意地だ。意地が真っ當か不當か、判斷材料なんてない、みんな結果論で良し悪しを言う、けど起こりうることの振り幅は実際広い。意地の墜落を祕かに待ち望むことはナンセンスに他ならない。もし五代に音無なく、田中と葉歌ちゃんが紛れも無い運命だったら、話の結末から見方は180°逆転する、そういう話をまた成功例の型に押し込むというのか?確実に昇華していく戀愛の美しさと異なって、八神のは儚くも切ない気丈さ、或いは分不相応なことへの勇敢な抵抗の類の美だ、混じり合わない世界線同士、前者の尺度で統一しては後者が不憫である。

実際この子らには救済を必要としない生命力がある、討論の餘地がないから、この狀態を大人たちは完全性に欠けるものとしてまともに取り合おうとしない。皮肉たっぷりに言うと、若さの放つ光線は、老人たちには眩しいとさ。五代は老人の列に連なる、八神の眩しさは彼を蝕んでいるのではないか?なら八神を選ばない五代は彼女に相応しくない男ということになる。音無の持つノスタルジアに救われる五代、八神と共に進んでいく五代。二個目の可能性に託す読者の存在を許してほしい。

裡ずけは取れた、なら、この少年少女たちの輝きに焦點を當てていこう、と言いたいどころだが、解說するまでも無い、上述の心細さがなくなれば、彼らの美しさはいとも簡単に見出されるだろう。

誰も憧れから結ばれる物語を書かな時代、大いなる仕組みに従順な時代、それらのプロローグとなる話をみんなはもっと素直な心で楽しむべきだ。少年漫畫イズムにひれ伏す私は、広大なロマンを心から愛し、優しさこそ世界を救うものだと信じているが、八神いぶきのような、自分に忠実で、強情、けど太陽のように人々に愛を運ぶ「悪黨ども」にどうしようもなく惹かれ続ける、彼らがもたらす一瞬一瞬から目が離せないのだ。

裁判長、以上です。

あっ、餘談ですが、私がほしのは、人々が相手に抱いた最初の願いが崩れても、そのあといかに巻き返すか、の物語。大人なら少し窮屈になりながら、子供なら思いの盡亂暴に。戀することに真理が一つあるならば、相手の真心を手に入れようとする全員に、戀は事実を手本にたくさんのことを教えてくれる、それを受けたこの人たちは絕えず本質を殘したまま作り替えられる、そしてそれこそこの世にある最上の甘美である。

動畫信息

相聚一刻
中文名:相聚一刻
原 名:めぞん一刻
又 名:一刻公寓 / MaisonIkkoku
首 播:1986-03-26(日本)
IMDb:tt0090479

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