第7話 迅雨
「本當に俺はたいした人間じゃないんだ。なにをやっても中途半端で、人に誇れることなんて何一つない。橘さんが思うような大人じゃないんだよ。」
「店長は素敵です。」
「俺からしたら橘さんのほうが遙かに素敵だよ。若くて、希望に満ち溢れてて、キラキラ輝いてる。」
「じゃあ、どうしてこんなに胸が千切れそうなの。」
「若さっていうのは、時に亂暴で凶暴なものなんだ。それでも、その時に感じた感情というのはいずれ掛け替えのない財產になる。今はわからなくでも…」
「私が店長のこと好きなのは迷惑ですか。私では、駄目ですか。」
「駄目なわけないじゃないか。橘さんは誰から見たって素敵に違いないよ。駄目なんてことは決してない。」
「橘さんといると、忘れていたその掛け替えのない財產ってやつを思い出すことができるよ。迷惑なんかじゃない、むしろ感謝しているんだ。」
「よかった。」
この感情に名前をつけるのはあまりに軽薄だ。
それでも、今彼女が抱えてる不安を取り剝がって救ってやりたい。
例え自分にそんな資格があるとは思えなくでも。
この感情を…
この感情を…
この感情を戀と呼ぶにはあまりにも軽薄だ。
今この一時、傘を閉じて君の雨に濡れよう。
どこまでも青く、懐かしさだけで觸れてはいけないものを、
今、僕だけが守れる。
今この一時、降りしきる君の雨に、君と濡れよう。
どこまでも青く、青く輝き続けられるように、
今、僕だけが祈れる。
第10話 白雨
小說は戀人か。かつては俺もそうだった。 四六時中、小說のことを考えて書きまくっていたあの頃。 それが何時からか、俺の片思いになってしまった。 それでも追って、追って、追いかけて、周りの人間も傷つけて… 「俺の文學への思いは、誰も救うことができないのか。」
「もしも仲間と一緒に飛びたてなかったら、その燕はどうなってしまうんでしょうか。」
「飛びたてなくでも、その地に留まって得る幸せもあるかも知れないね。仲間たちのことも忘れて。 でもその燕が飛び立たなかった理由はただの諦めであったとしたら、きっと毎日空を見上げることになる。 ずっと、永遠に。」
「あたしが店長の言葉が聞けてうれしいです。 店長の言葉をもっと聞きたいですし、いつか店長の言葉を読んでみたいです。」 「俺の言葉を?」 「店長がメモを取るのは、いつか書く小說のためですよね。」
「こんな俺の?」 「そんな店長だからです。 それから、本當に飛ぶことを諦めた燕は、きっと空を見上げることも忘れてしまうでしょうから。」
燕は知っている。雨のあたらぬ場所は、日もあたらぬ場所だと。 「あたし店長の書く小說、きっと好きです。」
許されたい、なんてそんな大げさのことじゃない。 げれどずっと、誰かに言ってほしかった。 「それでもいい」と。 ありがとう。
第12話 つゆのあとさき
「約束なんて言っちゃうとあれだけど、勇鬥と一緒に自分にもね、約束をし直したんだ。しまいっぱなしになっていた約束を。」
「小說ですか。」 「うん、書いてる。ぜんぜん思うようには書けてないんだけどね。でもすごく楽しい。 守れぬ約束にまた約束を重ね、約束に苦しみ、そして約束に教えられた。 ただ一つ、文學に寄り添い、生きると交わした自分との約束。 これだけは果たしたいと思ってる。」
「もしかしたら、橘さんにもあるんじゃない?忘れている自分との約束が。」
「大丈夫?」 「雨はもう上がります。」
「いつか僕らそれぞれの約束が果たしたら。」 「教えます。すぐに。必ず。」 「うん。」
「忘れない。」
「忘れない。」
「時が過ぎても。」
「どこにいても。」
「明日を教えてくれた人を思い出す。」
「雨上がりの空を、見る度に。」
(完)